いきなりですが、今回は音楽紹介ではなく「なぜわたしは世界の音楽を聴き続けるのか」というテーマで筆者自身の音楽人生について書いていきたいと思います。
このブログを読んでくださる方の中には「なぜこいつは音楽紹介でこんなに暑苦しい文を書くのだろう…」と疑問に思われていた方もいるかもしれません(自分でも思います…)。
今回の記事は、その暑苦しさの理由に触れた自己紹介のような内容となります。
何者でもない筆者の一人語りではありますが、もしよろしければお時間あるときにでも流し読みして頂ければ幸いです。
今回出てくる音楽は紹介を目的にしていませんが、筆者にとっては大切な曲なので通常通りのせさせて頂きました。
音楽が見せた別の顔に惹かれた子ども時代
「音楽」と聞いて一番初めに思い浮かぶのは、家にある無数のレコード群です。
父が洋楽大好き人間だったので、家には絶えず無数のレコードと音楽雑誌がありました。
その情景を思い出したとき今でも鮮明に浮かぶのが、たまたま父の部屋から聞こえてきた、とある歌詞の一節です。
わたしが今死んでも(荒井由実「翳り行く部屋」)
洋楽ではありませんが、幼稚園ぐらいだった私にはその一文がとても衝撃的でした。
子供ながらに「音楽は死を歌うものでもあるらしい」という、楽しいだけではない音楽の一面をみたような気がして驚き、そしてぞっとしたことを覚えています。
怖いもの見たさのような興味に惹かれ、結局そのアルバムは私が人生ではじめて購入したアルバムになりました。
荒井由実 -翳りゆく部屋(from「日本の恋と、ユーミンと。」)
そんな環境もあってか、私の青春はなかなかに音楽漬けな毎日でした。
ピアノと合唱という文化部お決まりの習い事や部活でしたが、スポコンコミュニティーだったため(笑)一日の大半は音楽とともに過ごし、できうる限りの時間とエネルギーを音楽に費やしていました。
そんななか、演奏がてら宗教曲(ラテンミサ曲)にふれる機会が多くなり、またもや私は音楽のもつシリアスな表情に直面します。
Palestrina: Missa Papae Marcelli - Kyrie
パレストリーナ「皇帝マルチェルスのミサ曲」はウェストミンスター版が好きで今もよく聞いています。
「心のよりどころとして一つのものを集団で奏でる」
この行為の尊さ、そうせざるをえない当時のやるせなさ、その健気さに胸うたれた私は、この手の音楽も普段聞きするようになりました。
「宗教曲ってなんか暗くない?」というネガティヴなイメージも感覚的には分かるものの、その時代の空気が一気におしよせるような感覚が新鮮で、敬遠する理由にはならず。
私自身は無宗教者ですが、多感と言われるこの時期に日本以外の国の「宗教曲」を聞けたのは今でもよかったなと思っています。間接的にでも、ほかの誰かの根幹に関わるものを感じるきっかけになったような気がします。
音楽について歴史や情報を調べる癖もこのころ身につきました。
歴史が好き だけど知りたいのは歴史じゃなかった
この頃、音楽同様にハマったものが歴史でした。
学生時の専攻は西欧の中世史でしたが、世界史/東洋史/日本史のすべてに思い入れがあり、課題以外では広く浅く気の向くまま書籍を読んだり史跡探訪したりしていました。
歴史の何に魅かれたかというと、それは過去に生きた人が何を考えていたか知りたいという純粋な欲求からです。
○○事件や○○の戦いよりも、その時代に生きた人たちが何を思ってその事件に至り、どんな立場でその事件と関わったのか。その温度感をあらわす「手記」的な歴史目線に興味がありました。
その歴史の事象から見えてくる個人よりも、その事象を個人(有名でも無名でも)がどう見ていたのかを強烈に知りたくなるのです。
なかでも、歴史を学ぶ醍醐味だと実感する瞬間があります。
それは戦時中(時代や国を問わず)に、絵画や経典などの文化遺産を破壊から守るため奮闘した市民たちの思いを感じたときです。
「過去・現在・未来」という概念さえ曖昧な時代にも、彼らは「明日も明後日もこの作品は残るべきなんだ」と、まるで本能で歴史の流れを理解しているように、知恵を絞り身を挺してその遺産を守ります。
自らの命が危ないなか「先へつなごう」としている彼らの思いを知ると、その未来の末端にいる自分とのつながりを強く意識でき、実際にその遺産を前にしたとき「あぁ、歴史を学んでよかった」と改めて思うのです。
それは市民のありのままの意志が「後世の考察に影響されることなく」能動的にあらわれた結果の歴史だから。私の知りたい当時の人の思いが宿っている歴史だからです。
歴史が好きというと「どの時代の誰が好き?」と聞かれたりしますが「歴史の流れのなか懸命に生きた人たちが好き」というのが本当のところで、これは音楽にも言えることかもしれません。
どのジャンルの誰が好きというより、奏でる人やそれを育んだ環境が自然と曲から滲み出る様に、音楽の美しさを感じます。
結局わたしが知りたいのは、音楽でも歴史でも「人の思い」なのかもしれません。
自分のなかでリンクした 音楽と歴史
ちょうどこの頃、父がよくケルト系や移民の音楽をすすめてきたので聞き始めるように。
ここで感銘を受けたのが クラナド Clannad と ヤドランカ jadranaka です。
Clannad - Theme from Harry's Game (Official HD Video)
この曲はドラマ『ハリーズ・ゲーム』(1982年 BBC制作)の主題歌。
主人公がMI6覆面捜査官としてIRAに潜入するというシリアスな刑事ドラマで、その主題歌にアイルランド出身のクラナドが起用されるという画期的な試みがされています。
現在進行形で続いているイギリスと北アイルランドの歴史(ここでは割愛)。
この曲を聞くだけでアイルランド特有の哀しい冷え、それを淡々と受け入れる荒涼とした大地の美しさが胸に体に刺さるよう。
歴史と情景描写、そして歌詞(演者の思い)…。音楽はこんなにも情報を伝える媒介になるのか、と思いました。
クラナドについてはこちらでも。
一方のヤドランカは母国の内戦で日本から帰国できず、その現状を歌っているという歌手でした。これが私のなかで大きかった。
Jadranka Stojakovic- Sarajevo sutra
今までは過去のことを現在の歌手が歌うという構図で何とか受け入れられていたものが、戦争がその人の「今」を表している音楽に、衝撃というよりもはやダメージに近いものを受けました。
いかに自分が「音楽=エンタメ」という構図ばかりに慣れてしまっていたかを痛感したのです(音楽=エンタメもあるべき姿の一つだと思います)。
そして、ここではじめて音楽と歴史のつながりを意識するようになりました。
いくら政治や権力が過去の苦しみや嘘を隠そうと、そのとき生きた人たちの感情は音や詩を通して現在に伝わる。
人々が残したいと思うから音楽は残るのであって、政治的思惑で変更された曲や歌詞はたとえ一時強制されようと二代三代と受け入れられることはなく、後世に続きようがないからです。
検閲や禁書など抹消される芸術がある一方、「せめて残るものは真実であるように」と願った市民の必死の抵抗だったのかもしれないと思うと、音楽と歴史。この関係をしっかり考えることにも意味があるんじゃないかと思うようになったんです。
ブログをはじめるきっかけに
そこからはトラディショナル・ミュージックを中心に、日本や海外のヒットチャート、往年の名曲といわれるものを並行して聞きまくりました。
以下、当時聞いていたものの一部を。インパクトはありませんが、いつかブログでとりあげてみたいと思うアーティストばかりです。
様々な音楽を聞くたび、自分のなかでどんどん世界がつながるのを感じました。
逆を言えば、知ったが故の「もし知らなかったら…受けれられない価値観を身に着けてしまっていたら、どうなっていただろう」という無理解と不寛容の恐ろしさについても実感しました。
学生~大人になってからは海外へ旅することも多くなり、そこで知る文化や音楽的・歴史的背景に触れるたび、海外のニュースや地球環境の問題などにも自然と心が動くように。
こんなことを言うと日常では「真面目だね~」と片づけられてしまい少し寂しく思いつつ、ずっとモヤモヤしたものも残っていました。
こうして捌け口がないまま日々インプット量だけは増えていき、あるとき唐突に思いたちます。
ブログやってみようかな。
ブログであれば誰かに見てもらえる可能性もあるし、記録としても残る。ほかのブロガーさんの見ている世界だって覗かせてもらえる。
もしかしたら、共感もしてもらえるかもしれない。
そんなわけで、ほぼ独りよがりな勢いのままブログをはじめ今に至ります。
ブログの世界は想像以上に多くの「世界」がたくさんあって、様々な目線でその世界を見ることができました。
その視点を教えてくれる各ブロガーさんには感謝しきれないですし、流暢な文章とそのブロガーさんだからこその言葉選びにはいつもすごいなぁ、文って本当に人柄がでるなぁとたくさんの刺激を受けております。
それにひきかえ、とくに役立つものもなく最新の内容でもない当ブログに足を運んでくださる方々には感謝の気持ちでいっぱいです。
長くなりましたが、わたしが世界の音楽を聞くようになったわけ、そして音楽紹介で異様に熱くなってしまうわけについて書かせて頂きました。
暑苦しいのは承知しつつ、これからもこの感覚で音楽を聴いていくと思うので「またやってるよ…」と大目に見てもらえれば幸いです。
次回からは通常通り気ままな音楽紹介となります。
ここまでお読みいただきありがとうございました。