先日部屋を整理していたら、ある黒歴史が発見されました。
学生時代、父からもらった過去(父の青春時代)の音楽記事を自ら再度スクラップしていたブツ…
これを私、授業中にせっせと作成していたんですよ…
健気ではありますが、スクラップ記事を再度スクラップって…どれだけ自分色に染めたいのか(笑)
これを見てちょっぴり懐かしい気持ちになりましたので、今回は筆者にとってのロックという音楽について少しばかりお話させてください。
右往左往ロックストーリー
ロックの聴き方を変えた Led Zeppelin
ロックと聞いて真っ先に思い浮かぶのは Led Zeppelin レッド・ツェッペリンです。
ありきたりではありますが、私がロックを真剣に聴くようになったのは彼らのこの曲からでした。
♬ Led Zeppelin - Stairway To Heaven
初めて聴いた感想は“やばいクラシック”。
それまで「ロック=パッションで表現するもの」というイメージがあったんですが(UKパンクのイメージが強すぎた)、
それが自分のなかで一気に覆り「ロックもじっくり聴けるのか…!」と視界が開けたのを覚えています。
抽象的で神秘的な歌詞、練られまくった曲の構想。
フレーズリピートの絶妙な回数、テンポの上げ方など、
聴く度に発見があり、まるでクラシック音楽の構造に近いものを感じました。
何より4人で奏でているのに、まるで曲のなかへ放り出されたような音の厚み。
クラシックオーケストラを聴いているようで、しばらくはこの曲から離れられませんでした。
その後ロックアーティストにクラシック出身者が多いことも知り(時代を考えれば当然だった)、クラシックまがいなことをしていた自分がこの曲でロックに入ったのもむべなるかなという感じです。
ミュージックマガジンとレコードコレクターズ
ツェッペリンは一つのジャンルを追求するというよりも、ハードではありましたが、あらゆるジャンルの音楽を自分たちの色に変える技巧派集団でもありました。
トラディショナルフォークにも造詣が深くFair Port Convention フェアポート・コンベンションのボーカル Sandy Denny サンディー・デニー
と親交があると知った私は、次にUKトラディショナルロックの沼へと足をとられます。
▼UKトラディショナルミュージックについてはこちらの記事でご紹介しています
これらの音楽は伝統音楽をロックでアップデートしており(よくあるロック「アレンジ」ではない)、
『本物をアップデートしたら新たな本物になる』という事実に、私は衝撃を受けました。
そんな錬金術のような(?)ことが実際に出来ていること、そしてそれを実現させたロックというジャンルに俄然興味が湧き、
洋楽好きな父の薦めもあってミュージックマガジン&レコードコレクターズ などの音楽雑誌を読み漁るようになりました。
ミュージックマガジンとは1969年に創刊された音楽雑誌。
中村とうよう氏をはじめ、アングラ系に造形が深い音楽評論家が編集に携わり、単なる音楽情報雑誌ではなく「音楽ジャーナリズム」を提起した、当時としては画期的な音楽メディアの一つでした。
メインシーンの音楽から、あまり知られていない世界の民族音楽まで、
音楽を単なる嗜好品としてではなく一つの文化として扱う、文芸誌に近い趣の音楽雑誌です。
レコードコレクターズはミュージックマガジンの姉妹版。最近は主にオールドミュージックについての再考記事が目立ちます。
この二誌の影響で、音楽を娯楽だけではなく文化比較の対象として捉える感覚が、
何となくですが芽生えてきたこの頃。
「世界の音楽に敬意を払い」
「心だけでなく脳の感受性も使って曲を聴く」
そんな音楽に対してちょっぴり真面目な姿勢もこの二誌から学びました。(パッションで聴くことは大前提)。
世界の音楽を分け隔てなくまずは聴いてみるという考えも(嗜好品として聴くとどうしても聞かず嫌いが出てくる)ここから学んだこと。
そして、音について「文字で表現する」という行為は、生意気ですがこのブログ制作へちょびっとつながっているのかも…と思うこともあったりなかったり。
メイクとグラムロック
音楽だけでなく思想やファッション、時には生き方にも影響を与えるロック。
学生の私がメイクに目覚めたきっかけは、ファッション誌でもプチプラコスメでもなくグラムロックでした。
攻撃的なメイクのなかでも正統派の美メイクより、「自ら晒されにいくという、潔くも哀愁のある美しさ」に強烈なカリスマを感じたんですよね。
ちょっと道化師っぽく見えるところが最高にかっこよくない!?道化師って実は何でも知ってる存在のような気がして、子どもながらにちょっと憧れがありました。
今でも目の下のアイラインは分厚ければ分厚いほど好きだし、前髪も撫で付けてれば撫で付けてるほど惹かれる。暗いリップにできればシルクハット、そしてボーカルは意味なく杖を持っていてほしい(笑)。
今思えばジェンダーフリーや個性に関して「自由でいい」と感覚的に学んだのもグラムからだったかも。
“自分たちはこうありたい“
(化粧が自身を偽るCoverだと捉える声に対して)
”化粧が鎧であって(=二面性があって)何が悪い”
というとても人間的な強さ、そして弱さに惹かれ、ブックレットをめくるたび曲を聴くたび、いつの間にか自然とこのスタイルに馴染んでいったような気がします。
私にとって表現者は強さと弱さ、どちらもあることが大切だったりします。
今でも「ジェンダーフリーを推し進めるべき理由を述べよ」なんて改まって聞かれたら
「その方が人間としてかっこいいし自然だから」
「シンプルに美しいから」
と真顔で個人的な意見を答えそうになっちゃいます。
でも、本音は本当にそうなんです。
最近ではマネスキンのメンバーがものすごく美しいと思う。ちなみにベースのヴィクトリアはバイセクシャルを公言しています。
▼マネスキンは今年のユーロビジョン2021にて優勝しました。詳しくはこちらの記事でご紹介しています。
2000年代に連れ戻された STROKES
一般的にロックの栄華は1970年代までとされているので、量・質ともにどうしても過去のバンドを聞く機会が多くなります。
そしてここがロック好きのかわいくないところなのですが、
そうなってくると何故か「知られていない音楽こそ名曲」という思考に陥り、どんどんニッチに、どんどん閉鎖的な音楽を評価する悪循環にはまっていきます。
知る人ぞ知る…隠れた名盤…
私も何度この言葉にときめいたかわかりません(笑)
真のロックは過去にある!と盲目的にいきりまくっていたそんな私を
お前が生きているのは2000年代だっ!
とハリセン片手に目を覚まさせてくれたのが STROKES ストロークスでした。
♬ The Strokes - Reptilia
シンプルで飄々としているけど、一つ一つの音は実にセンチメンタル。
なのに叫ぼうが囁こうが曲の本質はぶれない。
表面は繊細なフリして(?)けっこう頑固な一面もあるところが、自分の生きている時代とフィットした気がして、
そこからは彼らの音楽をきっかけに現代のロックに対しても柔軟に捉えられるようになりました。
当然だけど、今を生きている人間にしか生み出せないロックもあるわけで、そんな単純なことにも気づかなかった自分が恨めしい。
埋もれたかどうかに価値を見出だすより、まずは今ある音楽をしっかり聞かないと。ニッチな曲を自ら探すのもそれからでも遅くはないよね。
ファンになったのは出遅れた方でしたが、それでも学生期から現在まで長いこと私の人生を共にしてくれている大切なバンドです。
▼昨年のパンデミック中も精神的にだいぶ助けられました…
ロックファンは全員(たぶん)黒歴史もち
ロックを好きになるということは黒歴史を背負うこと。
私はそう思ってます(笑)「そんなことない!」という方はすみません^^
音楽から放出されるエネルギーに手をもてあまし、語りから布教活動まで時に暴走してしまうこともあった青春時代。
でもイタければイタいほど恥ずかしければ恥ずかしいほど、見方によっては自分自身の核となるような、
無暗に触れてはほしくないけど近寄ってくれたら全力でお見せしたいような、
そんな愛しいものだったりする。
そんな思いを胸に、新たなリスナーの熱さ迸るパッションをアルカイックスマイルで横目に見つつ、
黒歴史というイタくも愛しき思い出の連鎖が続くこと、
腹の底よりお祈り申し上げております。
そのロックを活かすも殺すも自分次第じゃ。
▶そのほか【音楽と私】をテーマにした記事
▶そのほかのロックミュージックについてはこちら
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ここまでお読みいただきありがとうございました!
今後も色々な音楽を聞いてブログに書いていきたいと思いますので、お時間があるときにおつきあい頂けたら嬉しいです!
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