個人的に大好きな昭和歌謡5選についてまとめました。
こちらのブログではあまり書いたことのないジャンルですが、たまには昭和気分も悪くないな~と思い、普段からよく聴く音楽をあげています。
親しみやすいけどよく聴けばディープにも聴くことができる、そんな曲を選んだつもりなので、じっくり音楽と向き合いたい気分の際に聴いて頂けると幸いです。
五輪真弓-煙草のけむり
私のなかで「昭和」のかっこいいシンガーソングライターと言えば、五輪真弓(いつわまゆみ)さん。
2022年はデビュー50周年を迎えるそうで、現在特設サイトもオープンしています。
とくにこの『煙草のけむり』はジャクソン・ブラウンの『Rock Me On The Water』と情景がかぶるぐらい癒しと切なさに溢れる歌詞で、一度聞いてから忘れられない曲。
癒しを求めさまよう男と、そんなミステリアスなひと時が忘れられない女…。かっけー。
でもかっこいいだけじゃなく、宗教的な献身というか信条めいているというか、そんな暗喩的なものも匂わせつつ、結局は口ずさみやすいフレーズに巻かれてしまうという、まさに煙草のけむりのような音楽です。
キャロル・キングやサルヴァトール・アダモなど世界的なミュージシャンからも認められ、フランスに呼ばれてCD制作をしたことも(好きな表現じゃないけど実際に和製キャロル・キングとも言われていたみたいですね)。
音楽的な国際感覚を持ち合わせていると同時に、昭和歌謡風の『恋人よ』がヒットした際は、
「自分は昭和中期の歌謡曲を聴いて育ち、日本の抒情的な良さの影響を受けている」
ときっぱり言っているところも、音楽に「西洋的」「アジア的」という線引きは不要と主張しているみたいで、そういう部分も見事に“ザ・シンガーソングライター”という感じ。
浅川マキ-朝日楼
五輪真弓さんが「かっこいい」なら私のなかで浅川マキさんはどこか「危険」。
でも危険なものって惹かれてしまうのが人間ですから。
マキさんは邦楽アンダーグラウンド界の第一人者と言われている存在のアーティストです。
とくに自身の世界観を非常に大切にする方で、その美意識はこのアメリカ民謡『The House Of The Rising Sun』の日本語訳詩でも顕著にあらわれています。
メロディーは確かにアメリカ的ブルースを感じるのに、マキさんの訳詩によって曲の世界観は見事に日本の情景と重なって聞こえます。
このライブ冒頭のギターソロも、どことなく三味線の音色に寄せていて、当時の日本のどこかにいる場末の芸者が一人語りするかのような始まり。そうかと思えば、中盤のギタープレイでしっかりブルースに寄せて弾きまくるのも粋です。
そしてこの曲と言えばはずせない、ちあきなおみさんの『朝日楼』も年に何回も聴いてしまう。
歌唱力はもちろんそのカリスマ、歌を演じる天才など、なおみさんを賛辞する言葉は尽きませんが、この曲に関して言えば「唯一何かを伝えたい存在」だろう妹に残す、ラストのパフォーマンスが好き…。
中森明菜-少女A
ワーナー公式ですが途中嫌なノイズが入ってます…(怒)
『少女A』と言えば、売野雅勇さんが手掛けたこの歌詞が優勝。
「私は私よ関係ないわ」と「特別じゃない、どこにもいるわ」を並列に歌い、女性であることの矜持を最大限に見せつけてる感じ。
目立ちたいわけじゃなく個として独立していたいだけなんだよね。それを必死に踏ん張り虚勢をはっているようなギリギリ感も◎。
女性のことを男性が書くって今はどう捉えられるのか微妙だけど、私はこの時代のその手の歌詞も嫌いじゃないです。
何でもそうだけど、自分の事となると客観的にまとまりつかなくなることの方が多いし、変に生々しくなる。
芸術は生々しくていいけど、大衆歌謡となるとそこには「憧れ」や「熱狂」も必要で、あまりにリアルすぎるとそれは聞く人を選んじゃうんですよね(四畳半フォークとかね💦)。
きっと女性の作詞家に依頼したらここまでスッキリしなかったと思う。もっと言いたいことがあって、よくも悪くも詰め込み過ぎちゃうんじゃないかな。勿論その逆も然り。
そんな神妙な歌詞をライブではにっこにこで歌う明菜ちゃん❤
私のなかで聖子ちゃんはプロとしての厳つさが先行する歌手だけど、逆に明菜ちゃんからは歌い手としての可憐さを感じます。
明菜ちゃんが歌う聖子ちゃんの『瑠璃色の地球』、めちゃいいよーーー!!!
明菜ちゃんって聖子ちゃん大好きだよねぇ……✨これ自体が尊い!!!
鈴木宏子-愛の光と影
『ベルサイユのばら』エンディング「愛の光と影」。
オープニングも好きだけど、裏方大好きマンな私はやっぱりこのエンディング派。
基本的に恋愛のみを題材にした作品や音楽は得意ではなかった学生時代。
この曲を聴くまでそんな「恋愛うんぬんを苦手な自分」に実は満足してました。(つまり尖り散らかしていた)
それが初っ端から片方の献身全開で始まるこの歌詞。
ちゃんと聞いてみるとこれだけ酔いまくり歌いあげる歌詞なのに、実はしっかりと自己完結しているところに当時の私はハッとしたものです。
- ずっと求め続けるけど今すぐに欲しいわけではない。
- 色々な葛藤や困難で愛は「強く」なるのではなく「深まる」
どちらも他者(オスカル)がいないと生まれない感情だけど、答えは他者と比較困難な答えになってるんですよね。
今じゃなくていいならいつなのって話だし、強さは人と比べられるけど深さは比べられない。でもそれはアンドレが分かっていればいいことで、彼のなかで「愛の形」は既に定まってる。
一曲聞き終わり目を覚ますような感覚と同時に、これまでの「愛」への態度を猛省しました。
愛って酔いやすく溺れることもできるけど(ここが苦手だった)、独りよがりとはまた違う尺度をもって自分の感覚で育めるものなんだ、と何となく理解できたような気がしました(遅)。
正直に言うととこれだけ語っておきながら『ベルばら』、読んだことも見たこともありません(土下座)。大まかなストーリーを知っている程度…。
けれどほんとにこの曲、そしてアンドレというキャラクターには人格形成的な視点ですごく感謝しています。
つまり……アンドレの愛、マジスゲー!ってことなのでした。
荒井由実-空と海の輝きに向けて
該当の音楽は16:25~。
私が初めて買ってもらったCD。それは荒井由実の数あるベスト盤の一つ『シングルス1972~1976』でした。
初CDということで、それはもう夢中になって聞きまくりました。
この中に収録されている曲こそ私のなかでは「荒井由実」で、その後知る事になる「松任谷由実」とは今でもどこか別人です。
なかでも好きだったのがこの『空と海の輝きに向けて』。
私には昔から変な癖(へき)がありまして、曲中で「お前」と呼びかけられる啓示的な表現に惹かれるところがあります。
※神様や男が言う権威的な「お前」ではない
何だか見えない存在が我が子に呼びかけているみたいな、もしくは腹の底を見せ合った親友や戦友が、その先の道程を見守ってくれているような語りかけで好き。
「荒井由実」はよくこの表現を使っていて、それは時代とともに「キミ」や「あなた」に変わっていったけど、この頃の神秘的な曲には「お前」という表現がとても合っていたように思います。
“呼び合う世界で空と海が出会う” “お前は歌になり、流れてゆく”
ここの歌詞が一番好き。
そうやって終わることが出来たら。または、そうやって旅立っていったと思ってくれたら…。現実はそんなに甘くないけど、今でも憧れる死生観です。
こうやって言語化すると、やっぱり当時のシンガーソングライターの音楽は、クリスチャン文化に影響を受けた欧米の音楽の影響を、さらに受けてますよね。
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独断と偏見ですが、おすすめの「ちょっとディープな世界観をもつ昭和歌謡5選」でした。
一口に昭和と言っても、昭和時代はとても長く昭和初期・中期・後期それぞれにユニークな音楽が存在します。
もちろんそこには世界大戦も入るので、戦前・戦中・戦後にどう音楽が変化し、海外の音楽が日本に影響を及ぼしたかなど、聴けば聴くほど新たな発見があり、興味の尽きないジャンルでもあります。
そしてこれは個人的な感想ですが、このような激動の時代を経て生まれた音楽を、今まさに激動の時代に突き進もうとしている私たちが聞く意義は、きっとあるような気がしています。
曲や歌詞、そして世界や自分自身とじっくり向き合いたいとき、昭和歌謡という選択肢があって良かった…と今はどこかほっとする思いです。
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ここまでお読みいただきありがとうございました!
今後も色々な音楽を聞いてブログに書いていきたいと思いますので、お時間があるときにおつきあい頂けたら嬉しいです!
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