高音注意報が出た国で冷房をがんがんきかせながら、アフリカのブルースを聞きまくる……。
そこには何重もの矛盾があるわけで、自分でも悲しくなってくるほどいろんなことに無頓着なんだということを反省せざるをえない…。
というわけで、今回はTinariwen(ティナリウェン)を聞いておブログ。
わたしのしょーもない反省が塵芥のようにふっとぶサウンドで、どうぞ皆さんもぶっとんでください。
砂漠のブルース Tinariwen (ティナリウェン)
Tinariwen (+IO:I) - Sastanàqqàm
とにかく、だ。
とにかく、かっこいい。格好が良い。
シタールのイメージがあるからこそかもしれないけど、青や白のターバンにギターはまずいよ。かっこよすぎてまずいよ…。
その弦をはじく指も長くて惚れぼれ…(指フェチでなく声フェチのブログです)
ティナリウェンはアフリカのマリ共和国出身。トゥアレグ族というマリ北部のサハラ砂漠にルーツをもつ、ベルベル人系の民族で構成されています。
Tinariwen とは母国語のタマシュク語で「なにもない空間」を意味し、彼らの故郷でもある「砂漠」の引用でもあります。
1979年、リビアの革命戦士としてキャンプで知り合ったメンバーによってナイジェリアのタマンラセット県においてバンドを結成。
政治的混乱のなか反政府側につき、各地を転々としながらプロテストソングを演奏。
のちに無料配布したカセットテープがフランスで注目され、2000年代から世界的な活動を開始。
これまでに9枚のアルバムをリリース。2012年・2014年にはグラミー賞における最優秀ワールドミュージックアルバム賞を受賞しています。
トム・ヨークやロバート・プラントなども注目するバンドとなり、現在ではマリのキダルを拠点にしながら世界各地で演奏。
そのプレイスタイルから「砂漠のブルース」とも言われています。
Tinariwen & Red Hot Chili Peppers - "Cler Achel"
レッチリと共演。
Tinariwen & Carlos Santana : Amassakoul
サンタナと共演。
プレイスタイル
自分たちのトラディショナルな要素を活かしながらも、プレスリーやツェッペリン、ジミヘンなどから影響を受けたという、「西的」ブルーススケールが持ち味。
そのためワールドミュージックならではの「濃さ」もありつつ、非常に聞きやすくバランスがいいのも特徴です。
そしてパーカッション2名以外の全員がギターをもつという、チート的かっこよさもこのバンドの魅力。
アコースティックギターのほかには伝統楽器であるテハーデント(リュートの一種)やイムザッド、シェパードフルートといわれる笛やティンデドラムを使用。
イムザッドやティンデドラムは女性、シェパードフルートは男性など、使用に男女の別があるのも地域性があり興味深いですね。
ちなみにトゥアレグ族は女系社会。男性が顔を覆い、逆に女性は肌をだす服装もするそうです。
トゥアレグ族の結婚式などで行われる男女の踊り。
またワールドミュージックのなかでもサイトやMVを見るかぎり、技術の進化もうまく取り入れているみたいで、バンド全体のカラーは何となくお洒落だったりします。
このMVものすごくかっこいい!
砂漠に生まれ 砂漠の音で生き いつかは砂漠に還る
Tinariwen - Desert session #2: Shadows on the sand
ティナリウェンの最大の魅力は、砂漠の民であるという誇り、そしてその生き方がすべての楽曲から匂い立ってくることでしょう。
彼らの音楽の真骨頂は、例えば夜中、ランプ数個の暗がりのなか会話をし、ティーを飲み、砂漠の風を感じながらプレイする、その環境にあるのだといいます。
砂漠は、家族であり、友人であり、おなじ民族であり、慣習や生き方そのものだというティナリウェン。
それは同時に「自由」を意味し、何ものにもわずらわされず、食べ、話し、笑い、音を奏で、好きなときにどこにでも行けるという、彼らの遊牧的アイデンティティーそのものでもあるのです。
紛争などにより、プロテスタントソングや希望をこめた歌をうたうことも多い彼ら。
けれどその根幹をたどっていくと、人間賛歌、ひいては自然賛歌のような、それ以上に広い器で音を奏でているような気さえするのです。
高音注意報のなか 日本でティナリウェンを聞く
冒頭でも触れたように、ここ数年の日本の暑さは明らかに異常。
自分の幼少期を思い返してみれば、こんな命の危険レベルの暑さなんてありませんでした。
そんな暑さのなか冷房のきいた部屋でティナリウェンを聞くのは「何かが違う」と分かっているのだけれど、それでもこの環境一つでさえ、個人ではなかなか変えられない。
冷房を切ったところでわたしが熱中症になって倒れる、という事実ぐらいしか生まれないからな…。
そうやって仕方ないとは思うのだけど、「何かが違う」という感覚だけはもっていたいと思ったり。
例えわたしたちにとっては「娯楽としての音楽」(平和な日本でこれは間違いない表現だと思う)であったとしても、彼らにとって音楽は、まさに生き方そのものであり、時には人生の切り売りでさえあるのだから。
そんなことを考えながら、うだる暑さを横目にクーラーのリモコンをON。
砂漠の砂が自らの重さに耐えかね埋もれていくように、彼らの音楽は今日もわたしの心の中にじんわりと沈んでいくのであります。
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