今回も2022年上半期で個人的に聴いた曲を独断でまとめています。
リリース時期やメインシーン・非メインシーンなどはごちゃまぜ。自身の備忘録の一面も兼ねてます。
曲数は少ないですが一つ一つ思いが重め。
繰り返し聴く曲は、自身のコンディションにもつながっているような気がするので、
だらだらと語りパートも多くなってます。読む際にはご注意を!
お時間がある時に興味のある曲を聴いて頂ければ幸いです。
- ヒグチアイー 悪魔の子
- Residente - This is Not America
- Blowin' in The Wind cover
- At The End Of The Long Escape / Resident Evil 6
- あとがき 『歌に形はないけれど』
ヒグチアイー 悪魔の子
自由は悲しいぐらい主観的だ。
だから自由は美しく、冷静に俯瞰で見ようとする者の心を抉りにくる。
アニメ『進撃の巨人』ファイナルシーズン2期エンディングテーマ。歌はシンガーソングライターのヒグチアイです。
冒頭から繰り返される終止形をとらないピアノの旋律が印象的。このフレーズの音を“ただただ 生きるのは嫌だ”の部分でリピートさせているのも憎い演出です。
プレコーラスでは、木管楽器のような素朴で艶やかなヒグチさんの裏声にトラディショナルなサウンドが重なり、本能的な自由への叫びが表現されています。
心音のようなビートが銃や砲撃を表現するドラムのビートに変わっていくのも、進撃の世界にオーバーラップしていくようで狂おしいですね。
❇︎❇︎注意!語ります❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎
この歌詞の全てを現実世界につなげること、それは危険かもしれません。
でも、私たちのほとんどは誰も『進撃』や、この曲のなかで歌われた答えと比較できるほど「自由と共存のバランス」について、心折れるまで突き詰めたこともなかったな、とも思うのです。
この曲を聴いたとき私の頭には
「人は生まれたからには自由で、それこそどこに行ってどこで死ぬのも自由で、誰と出会って誰と愛し合い誰と子を成そうが成さなかろうが自由で、例えそれが危険な国であろうと、国境があろうと、それはそうしたいと思った者の自由だ」
という思いががよぎりました。
直接的な歌詞とはズレているかもしれませんが、この思いは作品の「自由像」からはそう遠くない気もしています。
なぜ同じ地球に生まれて、自分の意志だけで行けない国があるの?
そこで人を傷つけるわけでもないのに?
なぜそこに行くと非難されるの?
実は私はこんなふうに、生まれた国の常識やイデオロギーが理由で、自分の意志で立ち入ることができない国があることを、何となく「気持ち悪い」「居心地が悪い」と子どもの頃から思っていました。
行く/行かないという個人の選択は別にして、最初から「危険なので行ってはダメです」と他者から突き付けられている状態が純粋に嫌なんです。
でもそれは仕方のない話で、家族や友人・恋人など自分に責任のある誰かを悲しませるかもしれないし、最悪、多くの人の命を奪うきっかけになるかもしれないこと。
それに抑圧ではなく「秩序」が大切だということも、心からそう思ってる。
幸いなことに、私は社会のルールに適応できていて「誰かの命を奪う可能性を秘める個人的な自由」を忘れることも出来ています。
でも「その国に行く自由」=「誰かを悲しませたり、誰かの生活を奪うこと」にしたこの世界の仕組みは何?ということなんですよね。
本当に自由になりたい人は、誰かを不自由にしたいわけじゃないから。
だからこそ「純粋な人間愛からなる共存」ではなく「現在の社会システムを守るためだけの共存=停滞」を嫌い、個人の自由を追い求める人がいることも理解できるよね、という…。
だって、人によって自由の形も自由の範囲も違う。
愛という枷を選ぶ人もいれば、自由という孤独を選ぶ人もいて、さらに言うと愛し愛されることで最上の自由を感じる人もいれば、自身で作るしかない「自由の形」に限界を感じる人もいる。
自由と共存のバランスって元から難しいのに、今はそれ以上の問題が山積みなわけで…人間ってマジほんと何なんだよ。
❇︎❇︎語り終わります❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎
一度聞いて、そんなことがザザザーーーっと脳裏を駆け巡ったこの曲。2022年上半期のなかでは最も響いた曲の一つでした。
劇中の音楽担当、澤野弘之さんの音楽も本当に素晴らしく聞きごたえがあり、海外からの評価も高いです。
改めて、「創作」をとおして本気でこのことについて考える機会をくれたことに感謝したいです。
Residente - This is Not America
これはMVが秀逸すぎ。
つらい描写が続くのに、どのシーンも宗教画みたいにある種の美しさを感じます。
個人的に Gambino の大ヒット作『This is America』より好きな表現(この曲の歌詞でも言及されてますね)。
Residente は、プエルトリコの歌手/ラッパー。
ラテンアメリカの教育における慈善家の一面もあります。
2015年までは、Calle13 カジェ13 というヒップホップグループとして活動、その頃からラテンアメリカに関する多くの問題について歌ってきた経緯があります。
ラテングラミーを3度受賞。2017年から Residente としてソロ活動スタート。
Residente は「アメリカ」には北アメリカ・ラテンアメリカ・中央アメリカ・南アメリカ・カリブ海があり、それらをすべて乱暴に“アメリカ”と呼ぶことは、各地域の格差や社会問題を「誤った自分事」として捉え、結果的に無視する恐れがあることを警告しています。
だからといって彼は「アメリカ」をいたずらに分断させようとしているのではなく、それぞれのルーツや問題から目を背け、その旨味(文字通り経済的利益)だけを享受する今のアメリカこそが分断の根幹だと歌い、
アメリカという「言葉の概念」やそれを口にする「自覚」、その意味について疑問を投げかけているようです。
今まであったようであまりなかった「アメリカ」の解釈。
でも何かあると「私たちはアメリカ人」と矜持をもって困難に挑むことも否定できない社会で、でもそれがアメリカが長い歴史で培ってきた意識の強みでもあり痛みでもありというところなのかな。
映像ディレクターはフランスの Greg Ohrel グレッグ・オーレル。
先住民の子供たちに「今」のアメリカの旨味を見つめさせる構成。
とくにコーヒーのパートはストレートに伝わるものがあり(子供も某コーヒーブランドのシンボルに寄せてる…?)素晴らしかったです。
ラストは黒人の視線で締めくくるのも、連帯なのか反面教師なのか沈黙なのか…この表現には打たれました。
Blowin' in The Wind cover
ウクライナ侵攻で心(だけ)が疲弊した2022年上半期。
そんななか、私が聴いた曲は現地のウクライナ歌手の曲、そして1960~70年代のアメリカのプロテストソングでした。
説明不要のディランのこの曲。
PENTATONIXのメンバー Scott Hoying スコット・ホーイング 、 Julia harriman ジュリア・ハーリーマン、Mario Jose マリオ・ホセ がカバーしています。
原曲の解釈が素晴らしいのはもちろん、現代の私たちにも響きやすいようにアレンジされているのが嬉しい。
“答えは風に吹かれて”いるのだけど、この歌詞自体が聞き手に対し答えをあきらめさせないカラクリになっているのが凄い。
このフレーズが一つまた一つと歌われるたび、聞き手の視点は問題に少しずつフォーカスされ、だんだんと臨場感をもって私たちの心に溶け込んでいくんですよね。
人って消えそうなものを追いかけ、見えないものを探す本能のようなものがありますし…。
駅のホームで風が起きたとき、帰宅途中で木枯らしが吹いたとき、自転車でそよ風を感じたとき。この音楽がふと耳をくすぐり、トン…と世界の何かを思い出すようなきっかけになる。
素朴さのなかに見失っているものがあることを予感させる、ずっと色褪せない名曲です。
At The End Of The Long Escape / Resident Evil 6
『バイオハザード6』よりジェイク編エンディングテーマ。毛色は変わりますが、実はバイオって良曲が多いのです。
ゾンビ倒すホラゲーでしょ…?と言われると確かにそうなんですが、結局「一番恐くてどうしよーもないのは人間」を地でいくゲームなので、ストーリーもそれなりにしっかりしていて好きです。
❇︎❇︎注意!語ります❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎
わざわざMADまでぶちこんだ理由は、シンプルにこのバイオキャラ
ジェイクに超絶はまったからです。ふっ…(自嘲)
見た目からして“坊主の長身ヤンキー”はバイオの世界で超異質だし、こんなにキャラ立ってていいの!?って感じ。
冗談じゃなく今まで見てきた小説・映画、全フィクション作品の登場人物&キャラクターのなかでも上位にくるキャラだった。まじで強さも弱さもかっこいい。
シリーズ最大の悪役の息子で(でも互いに面識ないし正体も知らない)極貧傭兵生活で捻くれて育ったジェイクと、
同じくヤバいウィルスを作った悪側の科学者の娘で多くを背負って生きてきたにも関わらず、まっすぐに育ったシェリー。
そんな「親が人類の敵」という強力設定をもつ二人が、同じ傷をカバーし合いながら互いを信じて世界を救うという…何というカタルシス。
第二世代好きにはこれ以上ないぐらいの劇薬です。
musicwordscloset.hatenadiary.jp
正直このパートナーを見るために、バイオシリーズを追ってきたようにさえ思う。
これまでのバイオとは比較できないぐらい、一人の心の動きが丁寧に描かれてたのも感動だった。2012年リリースだけど、ムービーは歴代バイオの中でも断トツに綺麗だったなぁ。
つーかホラゲーじゃなくて、とんだボーイミーツガールゲー…ゴホゴホ。
❇︎❇︎語り終わります❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎
ちなみにこの曲、生粋の公式ですから。どういうつもりだカプコンンンン~!
個人的に“キャラソン”ってあまり好きではないのだけど、ここまで丁寧にキャラを作り込まれてしまうと、さすがにこの「ジェイク丸出しの歌詞」にも最後はグッときました……。
お手本のようにシンプルな 2000s ロックサウンドも合ってる。
後日バイオ音楽に関する記事も書いてみたいな。
あとがき 『歌に形はないけれど』
最後にもう一曲。
ENE-歌に形はないけれど
2008年発表のボカロPとして有名な doriko 氏によるメジャーデビュー曲。
ボカロ黎明期の当時から今でも人気があります。懐か死…。
カバーしている歌い手はENEさん。
ほかにも多くのボカロ曲を投稿していましたが、現在は活動されていないようです。
ボカロ曲のなかでもジャパニーズポップスのお手本のような一曲。
けれどこの曲のもつ時に退屈に感じる「分かりやすさ」は、今の私にはまったく別の表情を見せてくれたような気がしました。
あっと驚く表現。斬新な曲作り。パンチの効いた歌詞…。
音楽は日々進化し、飽きられ、また新たに進化していきます。
けれど同時に、私たちのなかには「ベタなものに心を動かせることへの有難さ・尊さ」というのも存在していて、それを今、私はこの曲を聴いて噛みしめていたりします。
ベタというのは人の気持ちの最大公約数みたいなもので、私たちの基本感情に寄り添う大切な表現の一つです。だからこそ相互理解の鍵が「ベタ」や「お約束」にあると言っても過言じゃない。
そして現在のように人々の気持ちが不安定でバラバラになってしまいそうな事態になって初めて「ベタ」は本来の力を発揮するのかもしれません。
今は加速して、自ら混迷に突入していくように見える私たちの世界。
時に嫌気がさしてしまうこともありますが、私の中にある“シンプルで明瞭なものを愛したい感覚”は、いつもその気持ちにストップをかけます。
嬉しい。
悲しい。
悔しい。
楽しい。
好き。
嫌い。
そんな三文字以内で表現できる感情の、なんと心強いことか。
ときに思いきりシンプルに。
ときに限界まで複雑に。
歌に形はないからこそ、そこから受けとれるものにも限界はない。
そんなところも自由と音楽は似ているような気がする。
結局、この世界が私たちの生きられる唯一の場所で、そこでは複雑さと明瞭さを合わせもって生きていくしかないのかも。
これが2022年上半期を過ごした私の正直な気持ちで、今回はそれが如実に表れた選曲となりました。
2022年上半期、皆さんにとって大切になった曲は何ですか?
▶これまでの上半期・下半期に聴きまくった曲の記事
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ここまでお読みいただきありがとうございました!
今後も色々な音楽を聞いてブログに書いていきたいと思いますので、お時間があるときにおつきあい頂けたら嬉しいです!
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