2020年、ストロークスがいてくれて本当によかった。
一部の人間はガチで心が救われていることだろう。わたしもそんな一人だ。
振り返れば、彼らがカムバックすることに浮き足だっていた2020年の年明けは、いまや遠い過去のものとなってしまった。
恐怖と目まぐるしい情報に疲れていく心。それなのにどこか淡々と日々は過ぎ、あんなに楽しみで仕方なかったニューアルバムの発売日も、あっさりと迎えてしまった。
実際に『The New Abnormal』を前にしてみたとき、わたしはつとめて冷静な気持ちで再生をタップした。
白状すれば冷静に、ではなく気持ちが冷えていたのだと思う。日々のなか、感受性も自分でコントロールしているのを自覚していたから。
しかし泣いた。泣けた。
ジュリアンの声に、バンドのサウンドに、自分の予想をはるかに上回っておもいっきり感傷に浸った。いや、溺れていたと言った方がいいかもしれない。自ら進んで溺れにいった。
そして気づいた。
やっぱりどんな人間も疲れているんだ、と。ほとんどの人が、何か自分の信じられるものに縋りつき、きっと大泣きしたいに違いない、と。
そんな陰鬱な日々が続いている。
今回は、今感じている素直な気持ちも隠さず、ストロークスついて、とくにニューアルバムの『The New Abnormal』を中心に思いつくまま書いていきたいと思う。
そのほかロック関連記事
Black lives matter 関連記事
ファン史上最底辺のリスナー
ストロークス(The Strokes)とは、1999年から活動しているニューヨーク出身のロックバンドである。
メンバーはボーカルのジュリアン・カサブランカス、ギターのニック・バレンシ、アルバート・ハモンド・ジュニア、ベースのニコライ・フレチュア、ドラムのファブリツィオ・モレッティ。
2000年代におけるロック・リバイバルムーブメントを牽引した代表的なグループであり、今日のロックバンドにも大きな影響を与えた。(アークティック・モンキーズのアレックス・ターナーは、ストロークスになりたかったとまで公言している)
ファーストアルバム『Is This It』は低迷したロック界に大きな刺激を与え、続く『Room on Fire』もその完成度で大きな支持を得た。
ガーディアン誌では「2000年代最も重要なバンド」としてオアシスに次いで2位にランクイン。
声フェチならジュリアンのボーカルにもぜひ注目してほしい。
そんなストロークス、活動はあまり頻繁とは言えずファンは毎回新作を心待ちにしているのが常だ。
今回の『The New Abnormal』もおよそ7年ぶり。音楽を待ちながら過ごしていると楽しい反面、あっというまに我が身は老いる……。
さて、そんな『The New Abnormal』。最初に聞いたのは「
時系列的に言えば、これがアップされたのは2月初旬だったわけで、まだ世界は「以前」期だった。
だからこそ久しぶりのカムバックを楽しみにしていた身としては、いささか肩すかしだった曲だ。
しかし、それを数週間後に目に涙をためながら「ストロークスがいてくれてよかった」なんてのたまっているのだから、ファンとしては最底辺のリスナーである。
しかし、音楽(芸術)は現実と深く結びついてこそ姿形を得る。そう強く感じたのも事実だ。
不穏な空気が漂っていたとはいえ、2月の初旬にこの曲を聞いた刺さり具合と、たくさんのことを見聞きした今との刺さり具合は全くちがう。
音楽はリスナー個人の経験で大きくも深くもなり、いつのまにか変幻自在となる。それこそ気づかぬうちに我が身に染み入り、涙を流させ、心を熱くさせ、脳を刺激する。
ウィルスなんかより「これ」が体内に入ればいいのに、と一人毒づいた。
怒りの十八番
ストロークスは「生産のための生産」を嫌う。
これはもうストロークス怒りの十八番だと言っていい。とくにジュリアンはかれこれ十数年ずっとこれについて怒っている。
一番ストロークスらしいサウンドをこの曲にぶつけてきたのも何かの皮肉だろうか。初めは「
もしこれも「計画」なのだとしたら、最底辺のリスナーがファンについてしまったことを彼らにも反省してほしい。
余談。
一見「プロモーションなんて」と思っていそうなメンバーがゆる~くでも演技してくれるのが未だに謎だ。とはいえ、久しぶりに見た彼らが健康そうでほっとしてしまった。
らしさの功名、そして呪縛
ストロークスらしさでファンを安堵させている曲が「
ストロークス節全開で、セカンドアルバム『Room on Fire』に収録されていたような気さえしてくる。
キャッチーなメロディーに感傷的なバックサウンド、ジュリアンのウィスパーボイスも懐かしい。先行曲以外でこの曲の再生回数がぶっちぎりなのも納得だ。
「
とはいえ、ストロークスを聞いていると目に見える進化の必要性について少々疑問を抱いてしまう。芸術の進化は「感覚的にわかるもの」に成り下がらなくてもいいように思うのだが…。
80年代サウンド
もう一つのストロークスらしさといえば「80年代サウンド」だ。
これは4枚目のアルバム『Angles』から出てきた新たな要素だが、今回のアルバムでは「
2019年に亡くなったThe Cars のリック・オケイセックを意識したもの(サムネイルやタイトルから)という見方もあり、そのためこのサウンドになったのだろう。
冒頭パートもカーズの「
ところで、少し前まで(今でも?)80年代ムーブメントのようなヒットが多くあったが、ジュリアンがそれに興味をもったのはかなり早い時期だった。
ストロークス以外では、ソロアルバム『Phrazes for the Young』にてそれはとくに色濃く反映されており、このアルバムの発売は2009年だ。
同アルバムからは「
原点回帰を飛び越えて 最高の古さへ
個人的にもう一つのストロークスらしさは「第三世界」的サウンドだ。なぜかエスニックな世界観はストロークスのプレイスタイルにとても合う。
なかでもその特徴が顕著なのが「
冒頭のギターサウンドの煙ったさ、暗唱のように口から溢れる出る歌詞、いつもの3割増でミステリアスなボーカル。
そうかと思えば、サビ・間奏部分は聞きなれたストロークスの世界観のまま。しかも、この切り替えはかなりブツ切りだが、そこに違和感はない。
おそらくストロークスのもつ「潜在的古さ」が、この第三世界的サウンドにはまっているからではないか。
念のため断っておくが、わたしは「古さ」を<遅れている>または<劣っている>ものとは思っていない。
物理的に新しいものがあれば古いという概念がうまれるわけで、そこに本来優劣など存在しない。人間社会がつくった「効率」という言葉の前でのみ、それがぼんやりと浮かび上がるだけだ。そして、音楽に効率は絶対必要なものではない。
ストロークスのサウンドはいつも、どこかしら「古さ」を追求しているようにも聞こえる。
サウンド面だけでなく、哀愁あるメロディーだったり、ジュリアンのボーカルのこもらせ方だったり、一つ一つのパートの粗さだったり、バンドサウンドの随所にそれが感じられる。だから懐かしく、きゅっと胸をつままれるような切ない気持ちになる。
古さに向かっていくことは、決して古くさいことではない。古さに向かうことは進化と相対した行為でもない。原点回帰なんて言葉を使わずに、これを賛辞できる言葉があればいいのだが。
センチメンタル・アンダーグラウンド
もしジャンル分けをするとしたら、ストロークスはパンク/ガレージロックバンドに入るだろう。ただ、個人的に彼らはよりマイルドでノスタルジー、そしてセンチメンタルなバンドだと思っている。
今回のアルバム『The New Abnormal』では「Ode to the Mets」「Selfrless」など、ストロークスにはこのタイプの曲も多い。
Ode to the Mets
Selfrless
このセンチメンタルな要素はジュリアンのボーカルによるところが大きい。
傍観者のように訥々と語っているが、聞き手からしたら彼の歌詞はなかなかにポエム的だ。リアルともファンタジーともつかない世界観が、彼の声からは滲み出ている。ときに経を唱えているような神聖ささえ感じるほどだ。
過去に発表された「
ちなみにこの曲、ビリー・アイリッシュがカバーしていたのを聞いたことがあり、どうやら今回のストロークスのアルバムもお気に入りとのこと。ビリーの音楽スタイルも本来アンダーグラウンド的だから、もしかしたらストロークスと近いパッションを感じているのかもしれない。
そう考えるとビリーの曲も容易にジュリアンの声で脳内再生できる。「Bad Guy」「
おすすめアルバム
ストロークスはこれまでEPを含め8枚のアルバムを出している。
前述したとおり、そのうちのファースト・セカンドはロック史に残る功績を残し、2000年代ロック・リヴァイバルを起こした傑作とされている。
これに異論はまったくないが、個人的に好きなアルバムは3枚目の『First Impressions of Earth』、そして5枚目の『Comedown Machine』である。
この2枚のアルバムは、ドラマチックでエモーショナルな曲が多い。よりパンクで斜にかまえていないサウンドともいえるが、それ以上に感傷的でもある。この、ストロークスらしくもジタバタしている感じが好きだ。
とくに『First Impressions of Earth』では、ストロークスにしてはめずらしいヘビーなサウンドが聞ける。
普段舵をとっているジュリアンだけでなくメンバー全員で制作に取り組んでおり、そのためストロークスのなかでも実験的・爆発力のある1枚になった。
ボーカルにもエフェクトがかけられておらず、ジュリアン本来のボーカルを堪能できる。
そして、発売まで焦らしに焦らされた(つまり毎回焦らされている…)のが、『Comedown Machine』。このアルバムは非常にまとまっており、各曲の完成度もとても高い。
お気づきのようにアルバムタイトルやバンド名よりレーベル名を目立たせ、バンドとしての気概も伝わってくるのがおもしろい。5枚目にしてこんなに尖がらなくても…と思うが、そんな尖り具合が心地いいのもストロークスだ。
冒頭の「Tap Out」は最高の導入曲だ。ツインギターの贅沢な使い方がたまらなく、よく聞いてはその完璧さに一人悶えている。
同じく「Happy Ending」はタイトルにヒヤっとしつつも(実際解散説が流れた)、たゆたゆと流れるコーラスに酔いしれることができる。
淡々と流れるバックサウンドとそれを背に縦横無尽に流れるコーラスの対比もポイントだ。古いラジオから流れる音楽に口ずさんでメロディーをのせていくような感覚がおもしろい。
まとめ
先日、今年のロッキンの中止が発表された。おそらくフジも難しいだろう。今年、ストロークスはフジのヘッドライナーとして参加が決定している。
まったく何が起こるかわからない世の中になってしまった。というより、世の中はそういうものだったと、しっかり認識しなかった期間があまりに長すぎた。
会いたい人に会いたいとき会えることは、決して当たり前のことではなく、したいときにしたいことができた時代に生まれついたのは、一時であってもすばらしい幸運だった。悲観的でも何でもなく、素直にそう思う。
これからは元に戻るという「後退」ではなく、より近未来に近づくような発展をするしか選択肢が残されていない。そう考えるとSFというものの具体的な未来イメージには驚いてしまう。
一方では、まったくの偶然だが『The New Abnormal』というタイトルをこの世に放ったストロークスも同じ時代を生きているわけで、今はそれがただただ心強い。
さて。
かつて「ニュー・アブノーマル」といわれた存在は、わたしたちの世界にどんな変革を起こすのだろう。そして、それはどんな姿をしているのだろうか。
長い問いといくつもの正解候補。
それらと対峙するたびに、今感じている陰鬱さと出所不明の罪悪感を引きずりながら、しっかり向き合っていかねばならない。